一昨日の13日、元々休みだったわたしは、寝起きに時間をかけながらもなんとか起き、葬式に向かった。
一番最後に出たのは、曾祖母の葬式だったように思う。それが小学五年生だったような記憶があるため、早生まれ方式で11から1引いて10歳。今が25歳なので、およそ15年ぶりということになる。
正確に言うと、前々の会社で副料理長の身内のお通夜、再婚してできた父親の親戚のお通夜には5年前に出てはいるが、故人に関しての思い出も情報もないため、悲しみが伴う式ではなかった。
今回の葬式は、参列ではなくわたし自身が喪主であり施主だった。といってもそんなに大層なものではなく、式自体は1時間半もかからなかった。話には聞いていたが全く想像がつかなかった”ペット葬儀”。それを行ってきた。去年の5月頃から飼い始めたモルモットが死んでしまったのだ。
なるべく泣かないようにしたいので、当時のモルモットの様子を書くことは割愛したい。実際、毎日泣いてはいるのだけれど。悲しさをまとわない文体でいけばダメージが少ないことを期待しつつ、いつか回復して思い出したいときに、その時の自分のために記録しておく。
死んだ日は、電車の中で人目もはばからずボタボタと涙を流しながら、ただひたすらに”ペット葬儀”を
調べていた。鞄の中には、ペットへの強制給餌の仕方が書かれた本が入っていた。悩んで悩んで選び、借りた本だった。ちらちらと、その無駄になった本が視界に入るのが憎くて腹立たしくて、悲しくて仕方がなかった。
市内に”ペット葬儀”を行う葬儀社は何か所もあった。
火葬後に納骨を行えるところ、行えるがまかせることもできるところ、完全に任せるところ。
分骨が可能、納骨、永代供養……。
言葉自体は知っているが、自分が行う日が来るとは思わなくて、なかなか情報が頭に入らなかった。
それが人間相手であれ、動物相手であれ、愛する存在相手には変わりがなく、また規模が違うが、悲しみに暮れる暇などなく、まるで旅行でもいくかのように料金表を見て考えているのが非現実感を伴った。
しなければいけないわけではない。親から言われたわけでもない。死んだと聞いたとき、なんとなく察してはいたものの”死”が目の前に現れて、どうにかして目を背けたくて考えた最良の手だった。
弔ってあげたい。その思いはもちろんあった。ただそれ以上に、死んでいることを考えなくてよい方法が、葬儀について調べることだった。
帰宅してすぐ、空になったゲージが目にはいった。綺麗好きの親が掃除したからではない。小屋も、草も、エサ入れも、本来ならそこにいてくるくると愛らしく動き回るモルモットも、なにもかも見当たらなかった。モルモットが生きている証が、どこにも見当たらなかったのだ。
連れて帰ってきた時の、手提げの箱を見るように促され、立ったまま上からのぞいた。モルモットは仰向けの状態で青いブランケットに横たわり、タオルを掛けられて寝ていた。寝ているだけならよかったのだ。葬儀社を探す必要などないのだ。
親がモルモットを抱き上げて、わたしに手渡した。モルモットは、いつものように抵抗せず、ただじっと横たわっていた。呼吸で身体が上下することはなく、顔も手足もピクリとも動かなかった。晒されたぽってりとしたお腹に掌を当てると、耳が痛いほど冷たい風の中を歩いて帰ってきたわたしの掌よりもひんやりとしていた。
生き物のあたたかさはそこにはなかった。目の前の”死”が、信じる気になった?と口を開いた。
こみあげるような、という表現があるが、そのときのわたしは、身体の奥底から突き上げるような激しい悲しみに身体を乗っ取られ、大きく声をあげて泣いた。動かない。鳴かない。抵抗しない。冷たい。かたい。すべてが悲しくてつらくて逃げたくて、でもそこにしっかりと”死”は立っていて、逃げられなかった。逃げてもくれなかった。
当日もだが、翌日も仕事だったため、休みだった親に葬儀をしたい旨を伝え、葬儀社に電話相談してもらえないかと頼んだ。
朝起きて、いつもケージがある場所を癖で見てしまったが、死んだのは夢ではなかった。昨日と同じように、手提げの箱が置かれていた。
仕事中はなるべく考えないようにしていた。少し目が腫れていたかもしれないが、特に触れられることはなかった。
葬儀社は決まった。割と近所のところにあった。昭和59年からされているらしい。歴史があると、やはり安心する。なんと家まで迎えに来てくれて、帰りも送ってくれるとのことだった。迎えは無料で、送りは千円。
わたしの休みの日、午後だとぐずってだめになりそうだから、と、午前中に予約をした。
翌日は、麦ちゃん(モルモット)が死んでいるのがウソだったらいいのに、と頭の中でつぶやきながら仕事をした。あたたかくなったら、外に出して散歩をしてあげたかったし、可愛い服を着せて写真を撮ってあげたかった。草を栽培してたべさせたかったし、もっと撫でてあげたかった。もっと、生きてほしかった。5年寿命があるのに、たった1年しか生かせられなかった。一緒にいたのはたったの8か月かそこらだ。人間だったら高校生ぐらいだったかな、と思う。最初はよくわからなかったかじり棒の扱いだとか、草を白滝のかんぴょうのように巻いて束ねあものを、はじめはすぐにかじってほどいてしまっていたのを、段々と端からかじるようにしてほどかないように工夫しだした。子どもから大人へと成長していることがひしひしと感じられていたのだ。
そんなとき、予兆はあったものの、看病の甲斐なく、逝ってしまった。できることは、よい葬儀を行うだけだと、覚悟がきまりつつあった。それでも。焼きたくない、というどうしようもない勝手なわがままは残っていた。
葬儀当日。
4日連続で出勤したうえ、それまで看病でろくに寝ていなかった末の急逝で、身心が疲れ果てていた。何度か二度寝して、支度した。 葬式に向かうために支度をするなんて、なんて憂鬱なのだろうと思った。
時間通りに来た葬儀屋さんは、 きっと依頼がひっきりなしなのだろう、電話で問い合わせを受けていた。
電話が終わって挨拶をしたあと、そのまま抱っこして連れていかれますか?と尋ねられた。わたしはそのまま箱を持って乗った。意向を聞いてくれてよいなとおもった。
道中はなるべく箱を見ないようにしていたが、身体を見るのは最後になるのだからと勇気を出して箱の中をのぞいた。きっと泣いても、いままでの利用者も泣いていたのだろうから、おかしいことはないのだ。
箱の中には、まるで眠っているかのように静かに横たわった麦ちゃんがいた。でも、いま葬儀社へ向かって、焼かれに行くのだ。死んでいるのだから。
いままでの思い出を振り返って、そしてこれから焼かれて骨になることを想像して、頭がおかしくなりそうだった。この先で、本物の麦ちゃんと再会して、いま手に抱いている麦ちゃんは偽物だからね、と言われることはないのかな、と泣きながら願った。
そんな夢は叶わず、死んでいる現実のまま、葬儀社へついた。高校の最寄り駅に近いなと思っていたのだが、本当に近くて、というより駅のホームを下りてすぐのところだった。横づけされた車から降りて、本物の麦ちゃんを預け、受付をした。わたしの住所、名前、電話番号、ペットの名前、ペットの種類、命日を記入。命日がよくわからなくなっていて、親からのメールなどから判断した。もはや日付の感覚がなくなっていた。
葬儀社は横長になっていて、受付の横が待合室、その横が葬儀を行う部屋だった。その奥は、まだ案内されていなかったが、大体予想がついた。
般若心経か「千の風になって」を流すか、どちらかを選べたので、麦ちゃんは般若心経わからないだろうしな、と千の風になってを流してもらった。ちなみにこの時から別のお兄さんが対応してくれていた。
線香を立てて、お別れの言葉をかけてあげてください、と言われ、曲が流れる中、麦ちゃんを撫でて言葉をかけた。どんな言葉をかけたのか、記憶が飛んでしまったが、その間お兄さんは席をはずしてくれて二人きりにしてくれていた。配慮がありがたかった。遠慮なくお別れをすることができた。千の風になってを改めて聞くと、ようやく意味が咀嚼できて、たいそう泣けた。
音楽が終わるとお兄さんが奥の部屋から現れて(実はこの時、席をはずしてくれているのだと気づいた)では、火葬にうつらせていただきます、と麦ちゃんを抱えて、奥の部屋へ向かった。
冷たいコンクリ打ちの部屋に、大きな窯(なんというのだろうか)と、麦ちゃんが寝かせられたコンクリの寝台(これもなんというのか)、そして火をつけるスイッチがたくさん。とても無機質で、白く冷たい部屋だった。”死”以外の何がここに相応しいのかと思ったほどだ。
お兄さんは、にこやかに微笑んで、「それでは、最後のお別れによしよししてあげてください。 」と声をかけてくれた。わたしはこの言葉がたいへん心にしみて、それだけでまた泣きそうだった。そしていまも泣いている。
動物に寄り添うだけではなく、動物を亡くした人間の気持ちにも寄り添う姿勢が、言葉がなにより優しくて葬儀のショックを少し和らげてくれた。
お願いします、というとお兄さんは、では行います、といってガラガラと麦ちゃんを乗せた寝台を押して扉を閉めた後、手を合せた。そのあと点火スイッチを一つ一つ慎重にいれていった。全部で6つあったと思う。そのあともお兄さんは手を合せて、深く深く死を悼んで成仏を願ってくれた。わたしも手を合わせたのだが、朝から動揺しきりで葬儀のときに何をするのだったかを忘れていたり、という節もあり、ぼんやりとお兄さんの挙動を見ていた。葬儀に現実感がなかった。
30分ほどかかりますのでお待ちください、と待合室へ通され、骨壺は当初の説明通り2寸〜3寸内は火葬代金内。袋もサービス。とのことだった。小さいので2寸より少し大きいもので用足りるだろう、とのことだった。袋はせっかくなので可愛い赤くて星柄のものにした。ねこちゃんわんちゃんの絵柄が入ってますがよろしいですか?と聞かれたが、かまわないので、大丈夫です、と答えた。別途540円。
待ってる間、仏壇や分骨カプセル、湯呑や花立などを見ていた。折り紙と本があって、千羽鶴が何個か飾られていた。しかしどうもそんな気分にはなれなかった。
今日は疲れたから、また納骨に来たとき、仏壇を購入しよう、と決めた。
火葬が終わり、先ほどの場所へ通された。冷まされたとはいえ未だ残る熱気の中、寝台の上には、先ほどとは違う姿の麦ちゃんがいた。正確には、麦ちゃんだったもの。白くて、とても小さい骨。それを見てわたしはようやく、ああ、麦ちゃんは死んだんだな、と理解した。まだどこかで、生きているのではないかと無駄な期待を抱いていたのだ。
”ペット葬儀”をする利点として、これがまずひとつあげられると思う。
”ペットが死んでいることを、無情ではあるが、飼い主が本当に理解できるきっかけを与えてくれる”。
「こちらが足元で、こちらが頭です。 足元から、主な骨だけを納めてください。 細かいものはあとでこちらで集めさせていただきますので」とお兄さんが丁寧に説明してくれて、納骨も人間と同じなのだなぁと思った。ただし、お箸ではなく、たき火などで使うハサミで、骨を拾ってツボに納めていった。愛していたペットのものなら、骨でも愛しい、と思った。寝台の上でさえ落としたら謝りたくなる。骨をなでなでしてあげたいとも思った。頭の骨は恐竜さんのようで可愛かった。納骨の間も、席を外してくれていた。緊張するのでとてもありがたかった。
残った細かい骨は、集めていれるか、ほかのみんなとおなじ土に還すことができる、とのことで、寂しがりやの麦ちゃんのために、土に還してもらうようお願いした。結構がんばって拾ってはいるのだけれど。
袋に入れて準備ができるまで待合室で待った。すぐに準備ができ、精算を行った。火葬料金が15000円の税別、送り代金が1000円、袋代が540円、サービス料金などで、約18000円ほど。当初4、5万ぐらいだと思っていたのでとてもありがたい。
袋には、命日と名前が書かれていた。そのあと家まで送ってくれた。
納骨の際にはまたご連絡いたします、本日は大変お世話になりました、とにこやかに挨拶ができた。疲れたけれど、なんだかふんぎりがついて晴れやかな気持ちだった。きちんと弔ってあげられる。その準備がひとつおわったと。”ペット葬儀”を行う二つ目の利点はこれだろうな、と思う。
問い合わせをしたときに、納骨は49日が過ぎたらとなってはいますが、ご家族で十分お別れができたなと思ったらされてください、と言っていたそうなのだが、特に連絡や催促をしません、急がせたりしませんのでご安心下さい、という言葉が聞こえるように、「はい、大丈夫ですよ。その際はまたよろしくお願いします。 」と穏やかに笑っていただけて、ここに頼んでよかったなぁ、と心底安心した。
自室の棚の上に、簡素ではあるがエサ入れと水入れを用意し、遺影と、隣に袋に入った骨壺を置き、寂しくないようにリサガスのぬいぐるみを置いて、仏壇のようなものをつくった。
不思議なことに、骨壺が持つと手にとてもしっくりくる。生きていた麦ちゃんの大きさと重さに割と近いのだ。
仕事から帰ってかえって来ては持ち上げて撫で、寂しくなると撫で、いい加減にしろと怒られそうではある。それでも、骨が愛しいのだ。
そこにはいないかもしれない。鳴くこともない。それでも、生きていた証があって、手に触ることが出来る。あのままだったら、土葬などしていたら、腐乱して見るも無残な姿だっただろう。土に返ってしまえばもうどこにも生きていたことを証明できるものがなくなる。”ペット葬儀”を行う利点の三つめは、これだろう。土葬するより、そのままにするより、きちんと火葬して骨にすることで確かな”生きていた証”を残すことが出来る。その後納骨して永代供養すれば、いつでもペットに会うことができるのだ。
ここまで思い返して書くことができるなら回復もだいぶしたのでは?と思うかもしれない。わたしもそう思う。でも、仕事中に思い出しては涙をにじませているのでまだまだだろう。
納骨してあげよう、そう思えるようになるまであと何日かかるだろうか。
ああ、一つ思うのは、今日も、明日も、明後日も、来年もさ来年も、まだまだ生きていると思っていたよ。元気に飛び跳ねていると思ったよ。エサをねだって鳴いて、おやつを奪うように引っ張って、おてんばに生きていると思ったよ。引っ越すときには、どうしようかなぁ負担かかるよなぁ、って悩むと思ってたよ。悩みたかった。連れていきたいけど麦ちゃんに負担かかるし、でも寂しいし寂しがるし…って悩みたかった。明日も明後日も、来年もずーっと、寿命で死んでしまうまで、そばにいたかったよ。いてほしかったよ。突然すぎて、したいことがあれだけあったのに、その手もお金も時間も、どこに使ったらいいかわからなくて、衝動買いしそうだし、実際にしてしまったよ。
可愛かった。ペットというだけではなかったよ。家族だった。兄弟だった。迷惑かけたって心配かけたっていいから、まだまだ生きていてほしかったよ。でも、身体、楽になれて、本当によかった。なにもできなくて、本当にごめんなさい。
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一番最後に出たのは、曾祖母の葬式だったように思う。それが小学五年生だったような記憶があるため、早生まれ方式で11から1引いて10歳。今が25歳なので、およそ15年ぶりということになる。
正確に言うと、前々の会社で副料理長の身内のお通夜、再婚してできた父親の親戚のお通夜には5年前に出てはいるが、故人に関しての思い出も情報もないため、悲しみが伴う式ではなかった。
今回の葬式は、参列ではなくわたし自身が喪主であり施主だった。といってもそんなに大層なものではなく、式自体は1時間半もかからなかった。話には聞いていたが全く想像がつかなかった”ペット葬儀”。それを行ってきた。去年の5月頃から飼い始めたモルモットが死んでしまったのだ。
なるべく泣かないようにしたいので、当時のモルモットの様子を書くことは割愛したい。実際、毎日泣いてはいるのだけれど。悲しさをまとわない文体でいけばダメージが少ないことを期待しつつ、いつか回復して思い出したいときに、その時の自分のために記録しておく。
死んだ日は、電車の中で人目もはばからずボタボタと涙を流しながら、ただひたすらに”ペット葬儀”を
調べていた。鞄の中には、ペットへの強制給餌の仕方が書かれた本が入っていた。悩んで悩んで選び、借りた本だった。ちらちらと、その無駄になった本が視界に入るのが憎くて腹立たしくて、悲しくて仕方がなかった。
市内に”ペット葬儀”を行う葬儀社は何か所もあった。
火葬後に納骨を行えるところ、行えるがまかせることもできるところ、完全に任せるところ。
分骨が可能、納骨、永代供養……。
言葉自体は知っているが、自分が行う日が来るとは思わなくて、なかなか情報が頭に入らなかった。
それが人間相手であれ、動物相手であれ、愛する存在相手には変わりがなく、また規模が違うが、悲しみに暮れる暇などなく、まるで旅行でもいくかのように料金表を見て考えているのが非現実感を伴った。
しなければいけないわけではない。親から言われたわけでもない。死んだと聞いたとき、なんとなく察してはいたものの”死”が目の前に現れて、どうにかして目を背けたくて考えた最良の手だった。
弔ってあげたい。その思いはもちろんあった。ただそれ以上に、死んでいることを考えなくてよい方法が、葬儀について調べることだった。
帰宅してすぐ、空になったゲージが目にはいった。綺麗好きの親が掃除したからではない。小屋も、草も、エサ入れも、本来ならそこにいてくるくると愛らしく動き回るモルモットも、なにもかも見当たらなかった。モルモットが生きている証が、どこにも見当たらなかったのだ。
連れて帰ってきた時の、手提げの箱を見るように促され、立ったまま上からのぞいた。モルモットは仰向けの状態で青いブランケットに横たわり、タオルを掛けられて寝ていた。寝ているだけならよかったのだ。葬儀社を探す必要などないのだ。
親がモルモットを抱き上げて、わたしに手渡した。モルモットは、いつものように抵抗せず、ただじっと横たわっていた。呼吸で身体が上下することはなく、顔も手足もピクリとも動かなかった。晒されたぽってりとしたお腹に掌を当てると、耳が痛いほど冷たい風の中を歩いて帰ってきたわたしの掌よりもひんやりとしていた。
生き物のあたたかさはそこにはなかった。目の前の”死”が、信じる気になった?と口を開いた。
こみあげるような、という表現があるが、そのときのわたしは、身体の奥底から突き上げるような激しい悲しみに身体を乗っ取られ、大きく声をあげて泣いた。動かない。鳴かない。抵抗しない。冷たい。かたい。すべてが悲しくてつらくて逃げたくて、でもそこにしっかりと”死”は立っていて、逃げられなかった。逃げてもくれなかった。
当日もだが、翌日も仕事だったため、休みだった親に葬儀をしたい旨を伝え、葬儀社に電話相談してもらえないかと頼んだ。
朝起きて、いつもケージがある場所を癖で見てしまったが、死んだのは夢ではなかった。昨日と同じように、手提げの箱が置かれていた。
仕事中はなるべく考えないようにしていた。少し目が腫れていたかもしれないが、特に触れられることはなかった。
葬儀社は決まった。割と近所のところにあった。昭和59年からされているらしい。歴史があると、やはり安心する。なんと家まで迎えに来てくれて、帰りも送ってくれるとのことだった。迎えは無料で、送りは千円。
わたしの休みの日、午後だとぐずってだめになりそうだから、と、午前中に予約をした。
翌日は、麦ちゃん(モルモット)が死んでいるのがウソだったらいいのに、と頭の中でつぶやきながら仕事をした。あたたかくなったら、外に出して散歩をしてあげたかったし、可愛い服を着せて写真を撮ってあげたかった。草を栽培してたべさせたかったし、もっと撫でてあげたかった。もっと、生きてほしかった。5年寿命があるのに、たった1年しか生かせられなかった。一緒にいたのはたったの8か月かそこらだ。人間だったら高校生ぐらいだったかな、と思う。最初はよくわからなかったかじり棒の扱いだとか、草を白滝のかんぴょうのように巻いて束ねあものを、はじめはすぐにかじってほどいてしまっていたのを、段々と端からかじるようにしてほどかないように工夫しだした。子どもから大人へと成長していることがひしひしと感じられていたのだ。
そんなとき、予兆はあったものの、看病の甲斐なく、逝ってしまった。できることは、よい葬儀を行うだけだと、覚悟がきまりつつあった。それでも。焼きたくない、というどうしようもない勝手なわがままは残っていた。
葬儀当日。
4日連続で出勤したうえ、それまで看病でろくに寝ていなかった末の急逝で、身心が疲れ果てていた。何度か二度寝して、支度した。 葬式に向かうために支度をするなんて、なんて憂鬱なのだろうと思った。
時間通りに来た葬儀屋さんは、 きっと依頼がひっきりなしなのだろう、電話で問い合わせを受けていた。
電話が終わって挨拶をしたあと、そのまま抱っこして連れていかれますか?と尋ねられた。わたしはそのまま箱を持って乗った。意向を聞いてくれてよいなとおもった。
道中はなるべく箱を見ないようにしていたが、身体を見るのは最後になるのだからと勇気を出して箱の中をのぞいた。きっと泣いても、いままでの利用者も泣いていたのだろうから、おかしいことはないのだ。
箱の中には、まるで眠っているかのように静かに横たわった麦ちゃんがいた。でも、いま葬儀社へ向かって、焼かれに行くのだ。死んでいるのだから。
いままでの思い出を振り返って、そしてこれから焼かれて骨になることを想像して、頭がおかしくなりそうだった。この先で、本物の麦ちゃんと再会して、いま手に抱いている麦ちゃんは偽物だからね、と言われることはないのかな、と泣きながら願った。
そんな夢は叶わず、死んでいる現実のまま、葬儀社へついた。高校の最寄り駅に近いなと思っていたのだが、本当に近くて、というより駅のホームを下りてすぐのところだった。横づけされた車から降りて、本物の麦ちゃんを預け、受付をした。わたしの住所、名前、電話番号、ペットの名前、ペットの種類、命日を記入。命日がよくわからなくなっていて、親からのメールなどから判断した。もはや日付の感覚がなくなっていた。
葬儀社は横長になっていて、受付の横が待合室、その横が葬儀を行う部屋だった。その奥は、まだ案内されていなかったが、大体予想がついた。
般若心経か「千の風になって」を流すか、どちらかを選べたので、麦ちゃんは般若心経わからないだろうしな、と千の風になってを流してもらった。ちなみにこの時から別のお兄さんが対応してくれていた。
線香を立てて、お別れの言葉をかけてあげてください、と言われ、曲が流れる中、麦ちゃんを撫でて言葉をかけた。どんな言葉をかけたのか、記憶が飛んでしまったが、その間お兄さんは席をはずしてくれて二人きりにしてくれていた。配慮がありがたかった。遠慮なくお別れをすることができた。千の風になってを改めて聞くと、ようやく意味が咀嚼できて、たいそう泣けた。
音楽が終わるとお兄さんが奥の部屋から現れて(実はこの時、席をはずしてくれているのだと気づいた)では、火葬にうつらせていただきます、と麦ちゃんを抱えて、奥の部屋へ向かった。
冷たいコンクリ打ちの部屋に、大きな窯(なんというのだろうか)と、麦ちゃんが寝かせられたコンクリの寝台(これもなんというのか)、そして火をつけるスイッチがたくさん。とても無機質で、白く冷たい部屋だった。”死”以外の何がここに相応しいのかと思ったほどだ。
お兄さんは、にこやかに微笑んで、「それでは、最後のお別れによしよししてあげてください。 」と声をかけてくれた。わたしはこの言葉がたいへん心にしみて、それだけでまた泣きそうだった。そしていまも泣いている。
動物に寄り添うだけではなく、動物を亡くした人間の気持ちにも寄り添う姿勢が、言葉がなにより優しくて葬儀のショックを少し和らげてくれた。
お願いします、というとお兄さんは、では行います、といってガラガラと麦ちゃんを乗せた寝台を押して扉を閉めた後、手を合せた。そのあと点火スイッチを一つ一つ慎重にいれていった。全部で6つあったと思う。そのあともお兄さんは手を合せて、深く深く死を悼んで成仏を願ってくれた。わたしも手を合わせたのだが、朝から動揺しきりで葬儀のときに何をするのだったかを忘れていたり、という節もあり、ぼんやりとお兄さんの挙動を見ていた。葬儀に現実感がなかった。
30分ほどかかりますのでお待ちください、と待合室へ通され、骨壺は当初の説明通り2寸〜3寸内は火葬代金内。袋もサービス。とのことだった。小さいので2寸より少し大きいもので用足りるだろう、とのことだった。袋はせっかくなので可愛い赤くて星柄のものにした。ねこちゃんわんちゃんの絵柄が入ってますがよろしいですか?と聞かれたが、かまわないので、大丈夫です、と答えた。別途540円。
待ってる間、仏壇や分骨カプセル、湯呑や花立などを見ていた。折り紙と本があって、千羽鶴が何個か飾られていた。しかしどうもそんな気分にはなれなかった。
今日は疲れたから、また納骨に来たとき、仏壇を購入しよう、と決めた。
火葬が終わり、先ほどの場所へ通された。冷まされたとはいえ未だ残る熱気の中、寝台の上には、先ほどとは違う姿の麦ちゃんがいた。正確には、麦ちゃんだったもの。白くて、とても小さい骨。それを見てわたしはようやく、ああ、麦ちゃんは死んだんだな、と理解した。まだどこかで、生きているのではないかと無駄な期待を抱いていたのだ。
”ペット葬儀”をする利点として、これがまずひとつあげられると思う。
”ペットが死んでいることを、無情ではあるが、飼い主が本当に理解できるきっかけを与えてくれる”。
「こちらが足元で、こちらが頭です。 足元から、主な骨だけを納めてください。 細かいものはあとでこちらで集めさせていただきますので」とお兄さんが丁寧に説明してくれて、納骨も人間と同じなのだなぁと思った。ただし、お箸ではなく、たき火などで使うハサミで、骨を拾ってツボに納めていった。愛していたペットのものなら、骨でも愛しい、と思った。寝台の上でさえ落としたら謝りたくなる。骨をなでなでしてあげたいとも思った。頭の骨は恐竜さんのようで可愛かった。納骨の間も、席を外してくれていた。緊張するのでとてもありがたかった。
残った細かい骨は、集めていれるか、ほかのみんなとおなじ土に還すことができる、とのことで、寂しがりやの麦ちゃんのために、土に還してもらうようお願いした。結構がんばって拾ってはいるのだけれど。
袋に入れて準備ができるまで待合室で待った。すぐに準備ができ、精算を行った。火葬料金が15000円の税別、送り代金が1000円、袋代が540円、サービス料金などで、約18000円ほど。当初4、5万ぐらいだと思っていたのでとてもありがたい。
袋には、命日と名前が書かれていた。そのあと家まで送ってくれた。
納骨の際にはまたご連絡いたします、本日は大変お世話になりました、とにこやかに挨拶ができた。疲れたけれど、なんだかふんぎりがついて晴れやかな気持ちだった。きちんと弔ってあげられる。その準備がひとつおわったと。”ペット葬儀”を行う二つ目の利点はこれだろうな、と思う。
問い合わせをしたときに、納骨は49日が過ぎたらとなってはいますが、ご家族で十分お別れができたなと思ったらされてください、と言っていたそうなのだが、特に連絡や催促をしません、急がせたりしませんのでご安心下さい、という言葉が聞こえるように、「はい、大丈夫ですよ。その際はまたよろしくお願いします。 」と穏やかに笑っていただけて、ここに頼んでよかったなぁ、と心底安心した。
自室の棚の上に、簡素ではあるがエサ入れと水入れを用意し、遺影と、隣に袋に入った骨壺を置き、寂しくないようにリサガスのぬいぐるみを置いて、仏壇のようなものをつくった。
不思議なことに、骨壺が持つと手にとてもしっくりくる。生きていた麦ちゃんの大きさと重さに割と近いのだ。
仕事から帰ってかえって来ては持ち上げて撫で、寂しくなると撫で、いい加減にしろと怒られそうではある。それでも、骨が愛しいのだ。
そこにはいないかもしれない。鳴くこともない。それでも、生きていた証があって、手に触ることが出来る。あのままだったら、土葬などしていたら、腐乱して見るも無残な姿だっただろう。土に返ってしまえばもうどこにも生きていたことを証明できるものがなくなる。”ペット葬儀”を行う利点の三つめは、これだろう。土葬するより、そのままにするより、きちんと火葬して骨にすることで確かな”生きていた証”を残すことが出来る。その後納骨して永代供養すれば、いつでもペットに会うことができるのだ。
ここまで思い返して書くことができるなら回復もだいぶしたのでは?と思うかもしれない。わたしもそう思う。でも、仕事中に思い出しては涙をにじませているのでまだまだだろう。
納骨してあげよう、そう思えるようになるまであと何日かかるだろうか。
ああ、一つ思うのは、今日も、明日も、明後日も、来年もさ来年も、まだまだ生きていると思っていたよ。元気に飛び跳ねていると思ったよ。エサをねだって鳴いて、おやつを奪うように引っ張って、おてんばに生きていると思ったよ。引っ越すときには、どうしようかなぁ負担かかるよなぁ、って悩むと思ってたよ。悩みたかった。連れていきたいけど麦ちゃんに負担かかるし、でも寂しいし寂しがるし…って悩みたかった。明日も明後日も、来年もずーっと、寿命で死んでしまうまで、そばにいたかったよ。いてほしかったよ。突然すぎて、したいことがあれだけあったのに、その手もお金も時間も、どこに使ったらいいかわからなくて、衝動買いしそうだし、実際にしてしまったよ。
可愛かった。ペットというだけではなかったよ。家族だった。兄弟だった。迷惑かけたって心配かけたっていいから、まだまだ生きていてほしかったよ。でも、身体、楽になれて、本当によかった。なにもできなくて、本当にごめんなさい。
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